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道徳と倫理、そしてケアの倫理

以前、道徳と倫理の関係について書いた。

sugimoto.hatenablog.jp

 

今日は、その続き。

 

僕が道徳と倫理の関係(もしくは違い)に関心を持つようになったのは、ケアの倫理という考え方を知ったからだ。そこでは、道徳と倫理は、明確に区別されている。

ケアの倫理 - Wikipedia

 

倫理と道徳との区別は、哲学における道徳の拡大を回避させるだろう。道徳は、最大限多くの可能な事柄を原則の内部に位置づけようとする。道徳は、指示的であり、矯正的であり、権威的である。道徳は、風習や行動の不安定を乗り越え、ここの風習の限界を超越する規範を確定する。他方、倫理は、人びとの語り、人びとの人生の軌跡に依拠する。倫理は、人びとの主観的な人生の多様性とともに、時間と空間のコンテクストへの人びとの帰属を刻印する行動様式にかかわっている。

ファビエンヌ・ブルジェール『ケアの倫理 ネオリベラリズムへの反論』白水社文庫クセジュ、2014年、44ページ。

 

道徳と比較した場合、倫理の特徴となるのは、それには内省が必須的に含まれるということだ。

内省が含まれると言うことは、倫理が必ず個人に何らかの内面的葛藤を求めるものであることを意味する。人間は、倫理的にあろうとすれば、内面に常に摩擦と葛藤を抱えることになる。

そのため、倫理的人間は、内面的な強さが必要だという結論になる・・・

 

・・・ように思うかもしれないが、ケアの倫理という視点に立つと違う結論が導き出される。

ケアの倫理では、倫理というものを「配慮」という点から捉えようとする。

つまり、自分自身のあり方のみに注目するのではなく、おたがいに弱さを抱えた他者との関わり合いの中に倫理を見出そうとする。

僕にとっては、このような考え方をするケアの倫理は新鮮だったし、解放されたような気持ちすら感じた。

 

社会の規範的な秩序を考えると、どうしても内面に介入がちものを想定してしまう。

その点、ケアの倫理では、そのような副作用を怖れなくて済む。だから、めざすべき倫理というものを、もっと自由に考え出すことが可能になる。

 

これが、これからしばらくの研究課題かな。

 

話は、まったく変わるけど、東アジアの情勢はますます緊迫化している。有事まで想定されている。

高度な外交のステージに至ると、実際のところ、いくらデモクラシーといっても、一般の市民の声がそこに反映されることはまずない。

でも、それでも言わせてもらうなら、各国の為政者には冷静に対応をしてもらいたいし、一般市民の自分たちもそうでありたい。