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思ったこと、書きたいことを、ちょこちょこと書いていきます。

集団とのつきあいかた

企業だろうと、

政党だろうと、

学校だろうと、

宗教だろうと、

部活だろうと、

友達だろうと、

特定の集団の中だけに自分のアイデンティティを求めるようになると、

人間の視野は極端に狭くなるし、

考え方が硬直して柔軟性は無くなるし、

他人や外部を見る目は歪むし、

最終的に品性も卑しくなる。

 

人間には、集団に属することで学ぶものもある。

また、現実的に、人間は何らかの集団の中で、もしくは集団と関係を結ぶことでしか生きていくことができない。

だから、人間は、つい、自分の所属集団や自分と関係のある集団を過大に評価してしまう。

 

そのせいだろう、集団というものは、独善的になりやすい。

外部からみたら異常にしか見えないルールがまかり通ったり(たとえば体育会)、その内部でしか通用しないルールを外部にまで強制したりする(たとえば体育会出身の管理職)。

 

僕は以前、「普遍を意識しよう」と書いたけど、もちろんこれは集団という「全体」に自分という「個」を服従させると言う意味ではない。集団への執着と普遍的な視点や価値を重視することはまったく異なる。

むしろ、普遍的な視点を意識することは、集団の持つ独善性に毒される危険を回避する有力な方法になる。

 

でも、そういう姿勢を保とうとすると、必ず集団との軋轢が生じることになる。孤立は他との分断を意味するけど、孤高は他との闘いが伴う。

有能な人は孤高を維持することもできるだろうけど、自分のような凡人は集団に絡め取られながら、そんな集団の中で生きていくしかない。僕みたいな凡人でも、闘うことは難しくても、 集団の毒やいやらしさに注意することくらいはできるだろう。

今まで、僕はどの集団にも帰属意識を感じられないことがコンプレックスだったけど、こんなふうに考えてみると、それも悪くないなと思う。