読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

sugimoto_t weblog

思ったこと、書きたいことを、ちょこちょこと書いていきます。

本家の墓がなくなった!

思ったこと・感じたこと

先日、地元に戻った時に、本家のお墓に行ったら、更地になっていた。

 

僕の祖父は次男だから、うちは分家ということになる。

本家は戦前はそこそこの地主で、「他人の土地を通らないで、隣村に行くことができた」くらい、わかりやすくいえば村の土地の大半がうちの土地だったというくらいの資産家だったらしい。だから、古いたくさんのお墓を整理して大正期に作ったお墓もなかなか立派なお墓だった。

 

祖父は1976年に死去したが、本家とは別のお寺にお墓を建てた。

祖母と本家との折り合いがあまりよくなかったせいか、それ以来40年以上、葬式以外で本家と関わりを持ったことはほとんどない。

僕に至っては、一度も会ったことがない。

 

僕は、なぜか子どもの頃からお墓参りが好きで、幼稚園の頃は祖母と一緒にお弁当を持って祖父のお墓詣りに行っていた。だから、今でも帰省する度に祖父のお墓には行くんだけど、本家のお墓にはほとんど行ったことがない。数年に一度、近くを通った時などに立ち寄る程度。そして今回がその数年に一度だった。

 

両親とたまたま近くに行く用事があり、父が「久しぶりに本家の墓にでも行ってみよう」と言い出したこともあったので、本家の菩提寺に向かう。

田舎にはよくあることだが、近所はだいたい同じ名字だ。お墓も同様で、「どこだ?」少し探したが、本家の墓が見当たらない。そこでようやく、目の前の空き地が本家の墓の跡地だということに気がついた。

 

本家は、当主が若くして他界した後、後に残ったのが娘ばかりだったようで(付き合いがないからよくわからないんだ、このあたりの経緯が)、いわゆる墓じまいをしてしまったらしい。

 

かつての大名家や戦前の華族でも血統が絶えることは珍しいことではないので、わが家のような一般民衆の血筋が耐えたとしてもなんの不思議もない。

そうはいうものの、これまで長く続いてきたものが途絶えてしまい、その事実をお墓の空き地という形で見せられると、さすがになんとも言えない気分になる。

そもそも、お墓というもの事態がある意味でとてつもなく空しいものであるのに、そのお墓が取り除かれた跡なんだから、なおのこと物悲しい気分になった。

 

そして、今回本家のお墓が片付けられたことで、僕が動揺しているのにはもうひとつ原因がある。というのは、わが家のお墓も、本家のお墓と同じことになりかねないからだ。

僕は独身だし、年齢的に考えてこれから結婚しても子どもに恵まれるかどうかはわからない。そうなると、わが家のお墓も遅かれ早かれ片付けられてしまう恐れがある。

そして、これは、何代続いてきたかはわからないが、うち家系が完全に途絶えてしまうことも意味している。

 

普段、家系とか、血筋とか、先祖とかを意識することはほとんどない。

思えば、お墓は、そういったものすべての象徴なんだなということが今回よくわかった。

まあ、そういうことが理解できた一番の理由は、僕が年をとったということなんだろうけど。