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僕は理想主義でありたいと思う(改題)

日本ではリベラルや左派の理想主義は批判されることが多いけど、反対に僕は日本のリベラルや左派の問題は理想を高く掲げないことにあると思っている。

 

先日の退任演説もそうだったけど、オバマの演説がうまいことで有名だ。彼の演説は感動的なものが多い。理想を高く掲げていることも特徴だけど、それ以上に感動的なところがミソだ。

logmi.jp

 

感動的というのは、感情的とは異なる。

感動にはココロだけでなく、アタマの作用も影響する。理性に働きかける。だから、感情的な見解は共有されにくいが、感動は様々な人と共有することができる。

 

しかし、広く社会の人々からの支持を得るためには、感動だけでは足りない。

たとえば、鳩山内閣の施政方針演説を見ると、実はなかなか高尚なことが書かれている。だが、あの当時、鳩山内閣の方針に感動し、それに賛同して、積極的に政治に関わっていこうなどと思った人を僕は知らない。少なくとも、僕の周りにはいなかった。

 

なぜ、オバマの語る理想は、感動的に聞こえるのか?

それは、やはり、オバマの理想主義が、机上のものではなく、現実の社会から生まれたものだからだと思う。オバマは、人種的・宗教的マイノリティとしての出自を抱えながら、努力の末、大学を出て弁護士になり、貧困者の支援活動などを経て政治の世界に入った。そんなオバマの語る理想だから、普通の人間も納得できるし、感動することもできる。

要するに、現実に根ざした理想主義しか、人を感動させることはできないということだ。

 

ただ、そうなってしまうと、軽々しく理想を語ることができなくなってしまう。 

にもかかわらず、僕は左派やリベラルには、堂々と、確信をもって、理想を語って、人々を感動させてもらいたいと思う。

社会の大多数の人々は、その仕事や暮らしの中で、常に現実的に考えることを迫られている。現実的に考えることしか許されないと思っている。

一方で、そんな人々の多くも、この世から理想が消滅してしまうことがいいとは決して思っていないはずだ。

だとすれば、せめて左派やリベラルを自称する人間くらい、理想を語ってもいいのではないか。というよりも、きれいごとを、恥ずかし気もなく口にすることが、左派やリベラルの責務だと思う。