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思ったこと、書きたいことを、ちょこちょこと書いていきます。

迷っている

いつの間にか、また1つ、歳を取った。

 

若い時は歳をとることは喜びだったけど、いつの頃からか誕生日を迎えると、恐怖と不安と後悔を感じるようになった。

 

修証義の中に「徒に百歳生けらんは恨むべき日月なり」という言葉があるけど、「自分のこれまでの人生は『恨むべき日月』ではなかったか」と自問してしまう。

 

こんな話をすると、学生からは「辛気くさい」と言われる。実際、辛気くさい。

 

でも、そういう自虐的なところがあったからこそ、今まで何とかやってこれたのも事実。

 

そもそも、僕は「自分は間違いない」と確信しているような人が好きではない。というより、嫌いだ。

そういう人は、押し付けがましい。

 

少し「迷っている」人が好きだ。迷っている人は、他人を受け容れる余地がある。

かと言って、迷いすぎている人も嫌だ。やはり、見ていて、イライラしてしまう。

でも、これは同類嫌悪だと思う。

 

結局、何を言いたいのか、自分でもよくわからなくなってきたけど、この「よくわからない感じ」が、まさに今の自分なんだろうね。

何の記事かときかれたら、グチとしか言いようがない。

とにかく、このところ、忙しすぎる。

寝る時間もないので、当然ブログを書いている余裕もない。

でも、言いたいことは山ほどある。

だから、欲求不満になる。

 

あまり、よいスパイラルではない。

 

ストレスも多い。

なぜか今年はストレスの原因になりそうな人とばかり出会う。

文句をいう人間は、何にでも文句を言うことをあらためて痛感させられるし、やる気がない人は何に関してもやる気がないということも痛感させられている。

 

それと、今年は、身近な人の死が続いている。

表面的には淡々と受け止めているつもりだけど、やはり気付いていないうちに精神的には負担になっているようだ。

 

厄年は完全に抜けたはずなんだけど…。

 

毎週のように「仕切り直しだ!」と思うようにしているけど、仕切り直しもルーティン化したら仕切り直しにならない。

 

常に前向きな姿勢を維持できる人というのは、本当にすごい。

僕には、とても真似できない。

 

でも、無理にでも前向きになりたいとも思わない。何か、とても不自然な気がするから。

 

やはり、最善なのは、毎日を着実にこなしていくことだ。

それ以上でも、それ以下でもない。

 

死のイメージ

僕は、知っている人が死んでも、悲しいと思わないことがある。

 

自分では、自分のことを、それほど薄情な人間だとは思っていない(薄情なのかもしれないけど、それは自分ではわからない)。

 

それでも、人の死を悲しいと思わないのは、第一にその人が死んだと認識できていないからだと思う。

今まで普通に存在していた人、世間話をしていたような人、一緒にご飯を食べていたような人、こういった人がもうこの世には存在していないということを実感として理解することができていないのだろうと思う。

要するに、子どもと同じだ。

 

第二の理由は、死によって、さらにその人と身近になったように思っているからだと思う。

僕は、綺麗な建物やお花畑の中で、素敵な音楽が流れているような、絵に描いたような天国のイメージで、死後の世界を考えることができない。

でも、何かわからないけど、何らかの「死後のあり方」みたいなものはあるんじゃないかと思っている。そして、それは、自他の区別がなくなった、というよりも自他の区別を超越したようなものなんじゃないかと思っている。

だから、僕の中には、死というのは、むしろ肉体という壁が取り除かれた一種の理想状態のように考えているところがある。

 

こういった死の理解は、甘いのかもしれない。

幸い、僕の身近に、何年も病と闘って命を終えた人や治療に苦しんで命を全うした人はいない。こういった苦しみを抱えた人を身近に看取った人は、もっと死や死後のイメージはリアルなものだろうと思う。

 

結局のところ、やはり、僕は人の死に関して未熟なんだと思う。

 

僕の考える死は、所詮、人から聴いた死、本で読んだ死でしかない。

この先、年齢を経るに従って、より多くの死を経験することになるだろうけど、その中で死に対する僕のイメージは変わっていくだろうと思う。

 

そして、その最期に、自分自身の死に直面した時に、僕はどう思うのか?

それは、今の自分には、とても想像はできない。