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思ったこと、書きたいことを、ちょこちょこと書いていきます。

そんなに怒らないで。

別に「いい人」ぶる気はないけど、僕は争いごとが嫌いだ。

 

幼稚園児の頃、母方の祖母の家に行くと、従兄弟もやって来ていた。彼らは、年子の男ふたり兄弟で、弟はたしか僕と同い年だった。

すると、彼らは突然殴り合いのケンカを始めた。

僕はひとりっ子なので、これがいわゆるケンカを目にする初めての経験だった。

僕は同世代の男の子の殴り合いを見て、ブルブル震えが止まらなかった。そして、その晩、熱を出した。

 

僕は、とにかく、いろいろな意味で「力」がぶつかり合う様子を見るのは嫌いだ。

 

だから、格闘技は嫌いだ。というか、スポーツは基本的にすべて嫌いだ。

肉弾戦ではないとしても、たとえばテニスのような一見スマートなスポーツも、その根底には強烈な闘志が存在している以上、やはり嫌いだ。

もちろん、高校野球もダメだ。

 

こんな僕なので、「北斗の拳」は見たことがない。「ドラゴンボール」だって、僕からしてみたら暴力的だ。

だから、子どもの頃は、ほとんど女の子向けのアニメを見ていた。

 

この性格は、今も変わっていない。

たとえば、会議でおじさんたちが怒鳴り合っているのも苦手だ。その場にいると、本当に生気を吸い取られる。

 

ネット上のやり取りも、見るものを注意深く選ばないと、本当にしんどい。

場所によっては、ものすごく強力な悪意と憎悪があふれているから。

 

最近は、僕みたいな人間のことを「ハイリー・センシティブ・パーソン」(Highly Sensitive Person)と言うらしい。

ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia

 

「心理学や精神医学は、何でもレッテルをはる」と批判する人もいるけど、実際に何らかの症状や性格的な問題で苦労している人にとっては、自分の抱えている問題が明確になるだけでも気持ちがラクになるものだ。

 

ただ、そうはいうものの、レッテルをはったところで、生きづらさはあまり変わらない。

あいかわらず、社会や世間、また周囲の人間は、男には「強さ」を求める。

ささいなことで動揺してしまう自分のような人間は、基本的に「劣った人間」ということになる。

 

でも、そんな「劣った人間」である僕からすると、「そんなに、みんな、強がって生きていて大変じゃないの?」と思ってしまう。「なんで、みんな、そんなに闘いばかり求めるの?」と思う。

 

世の中には、闘わなければいけないものもある。

たとえば、人種差別などは、闘ってくれた人がいたから少しずつ小さなものになっていった。こういうものは、闘う価値があることだ。

しかし、しょうもない、小さなことで、みんなが怒りまくっているのが、僕にはまったく理解できない。

そんなことをしていたら、かえってカラダがもたないんじゃないかな。

 

だから、来年は、みんな、もっとのんびりと、やさしくなろう。

もう少し、いろいろ楽しい気持ちでいよう。

 

「home」がない話

どの場所に対しても、どの組織に対しても、また誰に対しても、完全に身を委ねることができない。完全に信頼することができない。

 

地方出身で、東京にやって来て、首都圏で暮らしている。ついでに言えば、今は海外に滞在中だ。このどこにも完全な貴族意識が持てない。

地元に対しては、他よりも強い思い入れがある。しかし、人生の半分以上を東京周辺で過ごした人間にとって、故郷とは言え地方都市での居心地は決して安楽なものではない。帰省すると、時にうんざりさせられることがある。

かといって、生粋の東京人でもない。生まれながらの東京人は、何かが違う。

 

このような場所に関することだけでなく、私には「home」と思えるものがない。

根底的なところで、すごく孤独な感じがする。

 

何かのこだわりがあって、自信をもって自分だけの世界を築いている孤高なら、カッコいい。

でも、私は違う。本当は、「home」がほしくてたまらない。さびしくて仕方がない。でも、帰る場所がない。

 

みんな、そんなものなのだろうか?

みんな、本当は「home」に値しないものでも「home」だと思い込んで、日々の暮らしを送っているのだろうか?

 

 

悪意に対処する

僕たちは、どうやって悪意を持った人と付き合っていくべきなのか?

 

実のところ、世の中にそれほど悪い人はいないと思う。

ただ、残念だけど、少数かもしれないが、悪意を持った人は必ず存在する。タチが悪いのは、そういう人に限って権力者だったりすることだ。

だから、僕たちはこういった人との付き合い方を考えておかないといけない。

 

この手の人たちと上手くやっていくには、まずは彼らに服従して、彼らの言うことを「はい、はい」と聞いておくことだ。たぶん、そうすれば、当座の害は避けられる。

 

でも、そんな状態は続かない。

そんな理不尽に長い間耐えられるほど、僕らの精神は強くない。

だから、やはり、何らかの抵抗を行わなければならない時が必ずやってくる。

 

だが、相手は権力者。

弱小な僕らが、実力行使で抵抗してもつぶされるに決まってる。

 

そんな僕らにできる抵抗は、やはり誠実であることしかない。

権力者の要求がその立場に立った当然のものであったとすれば、いくら問題のある人物の命令だとしても、それには従うべきだ。

 

でも、それが理不尽なものであったとすれば、常識を逸脱したものであったとすれば、そして自分の人間としての尊厳を著しく損なうような要求であったとすれば、その要求の問題を明らかにして、そして自分はそれに従うことはできないことを述べて断るべきだ。

 

その時、僕らは、誠実に、そして礼儀正しくなければいけない。 いくら相手が傍若無人でも、僕らが傍若無人であっていいはずはない。

僕らが彼らに勝てるのは、誠実さしかない。自分の尊厳を守りつつ、誠実に向き合う。もちろん、自分たちに対して直接的に害をなしてきたら闘うべきだ。でも、その時でも誠実さを忘れてはいけない。

 

精神的、倫理的に正しいことは、弱い僕らにとっての最大の武器になる。

僕らが闘うのは、相手を陥れるためではない。僕らは、自分の尊厳のために闘うべきだ。

決して、相手の人間性のレベルにまで、自分を貶めてはいけない。

 

こんなことを書くと、きれいごとだと思われるけど、落ち着いて考えればこれが最も現実的な対処法だと理解してもらえると思う。